相差体験

春雨について
初代駆逐艦春雨

この話は明治44年11月23日夜、旧海軍駆逐艦「春雨」が横須賀から佐世保に向かう途中、 三重県志摩菅崎沖(現在の鳥羽市相差町)で、大しけに襲われ44名の兵士が帰らぬ人となりました。 このときこの遭難を知った相差村民達が救助に当たり、そのことにより19名の命が救われました。

「春雨」は、日本海海戦や旅順閉塞作戦で大活躍をし、殊勲をたてた駆逐艦です。 しかし、当時の厳しかった世相が、「春雨艦」の遭難を操舵の誤りに起因すると見て、帝国海軍の恥辱ととったのか、あるいは当時の通信報道機能が未熟だったのか、ひっそりと葬られてきました。

昭和12年、当時の在郷軍人会(現在の郷友会)の分会長松井平五郎氏ら先輩方の計らいにより、殉難者を英霊として祀られるようになりました。

以来、相差町内会を基軸とした人々が実行委員となり、慰霊祭が毎年11月24日、今日まで絶えることなく続けられてきました。 毎年慰霊祭には、地元の方々・旧軍関係者・自衛隊関係者等が集まり、静かに英霊顕彰を行っています。


駆逐艦「春雨」の追想歌「さらば星になれ」
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